みなさん、こんにちは
魂がよろこぶ こころの自己治癒力を高めるカウンセラーの とみ です。
本日も読んでくださりありがとうございます。
みなさんは、「鏡の法則」って聞いたことがありますか?
自分の周りに起きていることは、自分の心を投影した「鏡」の世界であると見なす考え方のことです。
今日は、この鏡の法則でよくある誤解についてお話ししてみようと思います。
■鏡はこころを映すもの
みなさんは、神社にお参りすることありますか?
社殿に向かって手を合わせるときに正面に鏡が置いてあるのをご存じでしょうか?
社殿に置かれた鏡は、神様という意味もあるのですが、鏡に映った自分をみることから、自分自身に向き合い、自分のこころをありのまま、包み隠さずに映し出すことを意味しているそうです。
神社で神様に手を合わせることは、今の自分が神様に恥じない生き方をしているかどうか、そっと自分自身に問いかけることなのかもしれません。
鏡は、神様を象徴するものであると共に、私たちの「こころを映すもの」でもあるんですね。
■相手は変えられない
「あなたの周りの人たちはあなたを映し出す鏡である」というのはジェームズ・アレンの言葉ですが、
心理学の用語で「鏡の法則」とは、現実を、自分のこころを投影した「鏡」の世界であると見なす考え方です。
自分の周りに起きる出来事や、自分の周りにいる人の言動は、自分を映し出した鏡だ、というんですね。
ですから、相手をどうにかしたい、変えたいと思う時には、相手ではなく、自分自身を変えることで、相手や周囲の状況が変わるというのです。
朝起きて鏡をみたら髪の毛が跳ねている
この時、鏡の中の髪を直すのではなく、自分自身の髪を直す。すると、鏡の中の髪も整う。
と言うのはよく使われる例えです。
流石に鏡に映った髪の毛を直そうとする人はいないでしょうが、
これと同じことが、周囲の人や環境でも起きているということなんですね。
相手の嫌なところは自分にも当てはまるので、相手を変えるのではなく、まず自分の言動を変える必要があるということです。
■嫌だと思っていることを自分がしている?
その昔、私が心理学を学び始めた頃、「嫌いな人は自分自身の投影である」と言われて、めっちゃくちゃ反発したのを覚えています。
嫌だって思っていることなのに、私がそれをしているなんて、ありえない!って思ったのです。
しばらくの間、どういうこと?
って考えていたのですが
相手に見る嫌な部分は、自分も持っていて、
でもそれは良くないと思っているから出さないように一生懸命抑えている、
それなのに相手は、臆することもなく、見せている、
だから嫌だと感じるのだと言うことに気づきました。
自分の中に相手の嫌だと思う部分が全くなければ、良いも悪いもなく、気にならないものなんですよね。
ということで、「相手は自分の鏡」という意味を私なりに納得したのです。
■自分が変わるというのは、我慢すること?
ところで、「相手は自分の鏡」ということは、
相手にイヤなところが見えても、相手は自分の鏡、投影なのだから、
自分が変わらなければいけない、変わるために自分が我慢すべきだ
と思っていませんか?
こんな風に思っている人、意外と多いんです。
でも、これちょっと違うんですよね。
例えば、私の場合、相手のイヤなところをもうちょっとよく観察してみたら、
はっきりしない人、とか、何考えてるんだかわからない人が苦手なんだってことに気づきました。
と言うことは、私も本当ははっきりしたくないと思っているのかな?
と考えてみたもののなんだか違う気がしました…
さらに考えていたら、ふと気づいたのが、
はっきりしない人は、自分の気持ちを抑えているんだ、ということ。
つまり、私も自分の本当の気持ちを抑えていたということなんですね。
自分自身で気づいていなかった気持ちを抑えている自分がいるということ、
ここに気づき、そんな自分もいるんだと受け入れて見たら、
苦手だって思っていたはっきりしない人、何考えているのかわからない人も
この人もそれなりに頑張っているんだなって思えるようになり、
嫌悪感を覚えなくなったのです。
■我慢するのは、あなたを大切にしていない
もう一つ別の例を紹介しますね。
ある女性が友達と話す度にモヤモヤして辛い思いをしていたのですが、
「これって鏡の法則が働いているから自分が変わるべき、そのためには我慢しなければ」って思って友達と接していました。
こういうことって結構ありそうですよね。
これって、実は、そのお友達との間に自分が我慢しなければならないような状況が起きているということですよね。
我慢しているって、自分の気持ちは放っておいて相手に合わせているってことです。
別の見方をすると、その友達は、あなたのことを大切に扱っていないってことになりませんか?
ここで鏡の法則の登場です。
あなたも友達を大切に扱っていない?
いえ、そうじゃないんです。
あなたが大切に扱っていないのは、あたななのです。
あなたが、自分自身を大切にしていないから、鏡がそれを見せるために、自分のことを大切に扱ってくれない友達を映しているのです。
ですから、これからは自分を大切に扱えばいいのです。
あっ、ここで自分を大切に扱ってこなかった自分を責めないでくださいね。
自分のこと大切に扱ってこなかった自分もいたんだなって気づいてあげればいいんです。
そして、
もう我慢しなくていいんだよ。
嫌なことはイヤって言っていいんだよ。
もっと素直に表現していいんだよ。
こんな風に、自分自身に許可を出してあげましょう。そうすることで、モヤモヤは消えていきそうですね。
■鏡と向き合うように自分の本当の気持ちを見つめてみよう
日本人は何かの折には、神様に日々の感謝を伝えたり、願いごとをしたりしてきました。
「かがみ」の中から「我」を取り去ると、
残るのは「神」になります 。
私たちは神様の中に存在している、 「我」の塊である私たちでも、
神様はいつも受け容れ、守ってくださっている。
私たちの中に神様はいるという見方もできます。
あなたはこの世にただ一人しかいない愛すべき存在です。
神社でお参りする時だけでなく、日々の生活の中で鏡を見るときには、
鏡と向き合うように 自分自身の本当の気持ちを見つめ直して、
気づいて認めてあげることを意識してみるといいかもしれませんね。
そうは言っても、自分と向き合うのは難しい、つい自分を責めてしまうという方は、いっしょに向き合い方を考えてみませんか?